【私の宝石物語】タレント・キルト作家 キャシー中島さん《後編》
各界で活躍する有名人の方々が、宝石への想いを紡ぎ出す「私の宝石物語」。
前号の前編では、自ら手作りする「世界に一つだけのジュエリー」の魅力を紹介してくれたキャシーさん。今回は、仲良しファミリーとして知られるキャシーさん一家の、家族の絆をさらに深めることになった、ジュエリーのお話をお届けします。
タレント業の傍ら、ハワイアンキルトの第一人者として、絶大な人気を誇るキャシーさん。
自らの手で「美」を紡ぎ出す才能はキルトだけにとどまらず、ジュエリー製作でも発揮。一点もののオリジナルジュエリーを手作りし、キルトのお店に置くようになりました。今から10年程前のことです。
「最初はアンティークビーズを使った、たっぷりとしたネックレスなど、コスチュームジュエリーっていうのかしら。そういうのを私がデザインして作っていたんですけど、長女がやってみたいということで一緒に始めたら、どんどん面白くなっていったみたいで。彼女がデザインして、自分で作るようになったんです。」
長女・七奈美さんがデザイナーとなった、キャシーさんのオリジナルジュエリー。こだわりは、「本物の宝石を使って、手軽に楽しめるジュエリー」を作ること。石を選ぶのはキャシーさんの担当で、海外に行くと必ず宝石問屋に足を運び、七奈美さんのデザインに映える石を探し回るという、母娘二人三脚のジュエリー作りが始まったのです。
ところが3年程たった2009年。それまで元気だった七奈美さんが、29歳の若さで急逝。がん宣告からわずか4ヶ月の他界に、キャシーさん、一時は針も持てないほど、悲しみにくれたそうです。
「もう針も持てないかと思いました。でも娘がオレンジ系が好きだったので、そんな色の作品なら針が持てるかなと思って、思いきってやってみたら、まるで娘と会話をしているかのように、楽しく作れて。それでまた前を向けましたね。」
そして、七奈美さんというデザイナーを失ったオリジナルジュエリーもまた、続けていく決心が出来たといいます。
七奈美さんが作ったネックレス
センターに配したのは大きなアメシスト
お守り代わりのジュエリービーズのブレスレット
重ね付けするのがキャシー流
「七奈美のジュエリーのファンの方も多かったので、七奈美のテイストを残したジュエリーを、作っていこうと決めたんです。彼女は大きな石をポイントにするのが好きだったんですけど、その石を探すのがなかなか大変でね。クオリティが良くて大きな石だとお値段も高いし、皆さんに手にしていただけるような、金額面でも見合う石を探す時は、よく心の中で呼びかけてます。『七奈ちゃん、いい石みつからないんだけど、どこかにない?』なんて。すると、不思議なことにポンって見つかったりするの。そういう意味では、石を探すことにも、彼女の想いはこもっているのかなと思います。」
ジュエリーデザイナーとして無限の可能性を秘めながら、志し半ばでこの世を去った、愛娘・七奈美さん。彼女がデザインし、自ら身に着けていたジュエリーは今、次女の雅奈恵さんや長男・洋輔さんに受け継がれているそうです。
「私はサイズが違うので持ってませんが(笑)、次女の雅奈恵はネックレスやイヤリングなどを受け継いでいて、時々身に着けてます。それを見て『ああ、お姉ちゃんのジュエリーね』って。娘は亡くなっても、そういうものがあると、心の繋がりをまだ感じていられるんですよね。息子の方もお姉ちゃんがしていた指輪を、ネックレスにリメイクして持ってますね。いつも側に感じていられる。ジュエリーって、そんな存在かもしれませんね。」
おしどり夫婦と呼ばれるご主人、俳優・勝野洋さんとの間に、一男二女をもうけたキャシーさん。キルト作家「二代目キャシー中島」の跡を継ぐのは、長女・七奈美さんだと何となく思っていたそうですが…七奈美さん亡き今、その座を受け継ごうとしているのは、何と!
「長男の洋輔です。今流行りの『手芸男子』でね。ずっとフランスに勉強に行ってたんですけど、一昨年帰ってきてから、自分のブランドを立ち上げつつ、私の仕事も一緒に手伝ってくれています。あと4~5年で代替わりかな。今は男の人も針を持つようになってきているので、二代目が男でもいいのかなと。息子の方が今の時代には合っていると思います。キルトはもうメンズ向けをやっているんですけど、きっとこれからジュエリーも、メンズ向けを提案していくと思いますよ!
もちろん七奈美の意志を継いだジュエリーも作り続けます。身に着けた人が幸せになってくれること。それが彼女の願いだったから、叶うように想いをこめて!」
悲しみを共に乗り越えることで、家族の絆をよりいっそう深めたキャシーさんファミリー。そこには、今も家族の心に寄り添い、永遠の輝きを放つ、七奈美さんが愛したジュエリーがありました。
キャシー中島さん プロフィール
ハワイ・マウイ島生まれ。
1969年モデルとして芸能界デビューし、その後タレントに転向し活躍。1979年、俳優・勝野洋さんと結婚し、専業主婦に。子供が幼稚園の頃、趣味のパッチワークをママ友に教えたのがきっかけとなり、芸能活動を再開しながら、パッチワークスクールを主宰。ハワイアンキルトの第一人者となる。アップリケキルトの製作者としても、数々の国際大会で入賞。「キャシー中島のアロハチャリティーハワイアンキルト展2017 IN 鎌倉プリンスホテル」が、3/21~24まで鎌倉プリンスホテルにて開催予定。
(番組ガイド誌「ジュエリー☆GSTV番組表」 2017年3月号掲載)