BS-TBS 麗しの宝石物語12月はイスラエル

イスラエル

イスラエルの町並み

11月放送のダイヤモンドの世界港インドはいかがでしたでしょうか?羨望の眼差しを独り占めにするダイヤモンドがどのような過程で世界へ羽ばたいていくのかをご紹介させていただきました。

実は12月のテーマとなる宝石もダイヤモンド。ご紹介する国はイスラエルです。インドでは「商売としてのダイヤモンド」が物語の中心でしたが、イスラエルのダイヤモンド産業の根源は「資産としてのダイヤモンド」。ユダヤ民族とともに生きてきたダイヤモンドの物語。ぜひご覧ください。

ダイヤモンドが財産として流通する国、イスラエル

イスラエルの歴史的な町並み

イスラエルの歴史的な町並み

イスラエルのジュエリー(左)とダイヤモンド(右)

(左)イスラエルジュエリー
(右)ダイヤモンド

イスラエルのダイヤモンドを語るにはユダヤ民族の歴史を知ること抜きには語れません。しかし、紀元前から始まる歴史は長く多様であるため、簡単には言い表せません。ただ、その歴史的背景から分散や移動を繰り返し生きてきたユダヤ民族の生活の中で、重宝されていたのがダイヤモンドであったことは確かのようです。

その理由は「持ち運びに便利な財産」であったこと。ダイヤモンドの価値はどこの国でも認められるものです。商才に長けていた民族とも言われていて、早くからダイヤモンドの資産的価値を利用することが、繁栄させるための重要な手段ということを捉えていたのかもしれません。

また、ユダヤ民族が世界各地に点在していたことが良質なダイヤモンドの原石を集めることも可能としていたそうです。 そして実際に財産として有効であったことは、複雑な歴史を経て、民族国家としてイスラエル建国まで至ったことに示されているのではないかと感じます。近年、「資産としてのジュエリー」として、宝石の資産的価値、芸術品としての価値が見直されてきています。その原点がイスラエルにはあるのです。

イスラエル随一のダイヤモンドブランドリリーダイヤモンド

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▲ イスラエル随一のダイヤモンドブランド
リリーダイヤモンド

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▲ 加工職人によるダイヤモンドの研磨

イスラエルにおけるダイヤモンド加工は、第二次大戦後にテルアビブのラマトガン地区で始まりました。かつては1万5千人以上の加工職人がいたそうですが、その後、小さいダイヤモンドの加工は市場取引量の多いインドに流れていってしまったため、今では加工業者が20件ほど、職人は200~300人位と加工業は衰退してしまいました。

現在は0.5ct以上の大きなダイヤモンドの加工しかしていないそうです。そのような中で、100人ほどの職人を擁し、特許も取得している独自カット技術を持つ、イスラエル随一の加工業者がリリーダイヤモンドです。

加工工場には近代的な加工機械、分析器など自動化されている部分もありますが、貴重なジュエリーとなる大きなダイヤモンドについては職人の手による匠の技で最終的な仕上げが行われていました。

取引金額が世界最大のダイヤモンド取引所

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▲ テルアビブにあるダイヤモンド取引所

イスラエルの経済・文化の中心地テルアビブにあるダイヤモンド取引所は、高層ビル4棟すべてにダイヤモンド取引業者が入っているとても規模の大きな取引所です。その4棟が渡り廊下で繋がっていて、そこで実際の取引が行われています。

取引所自体は、20世紀以前はオランダのアムステルダムに、その後、ダイヤモンド取引を有効な産業としていたベルギーのアントワープを経て、現在のイスラエル建国後にテルアビブに移りました。

インドにある取引所は取扱量が世界最大でしたが、テルアビブの取引所は取引金額が世界最大です。それだけ良質で価値の高いダイヤモンドが取引されているということなのです。このことにもユダヤ民族が世界のダイヤモンド市場をコントロールしていたことが感じられます。

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