【私の宝石物語】パティシェ 辻口博啓さん
各界で活躍する有名人の方々が、宝石への想いを紡ぎ出す「私の宝石物語」。
今回は、「世界一のパティシェ」として、日本のスイーツ文化を牽引してきた、辻口博啓さんが登場。 繊細で麗しい見た目から、時として「宝石」にも例えられる辻口さんのケーキですが、「ジュエリー」と「スイーツ」、そこには共通点も多いようです。
「宝石」の如きスイーツで人々を魅了する、パティシェ辻口さんの、ジュエリーへの想いとは果たして…?
パティシェという仕事柄、粉をこねたり伸ばしたりの手作業が多いため、指輪やブレスレットなどのジュエリーは、残念ながら身に着けられないという辻口さん。奥様との結婚指輪も交わした事実はあるものの、はめた記憶は皆無で、今どこにあるかすら分からない状態とか。そんな辻口さんがかつて一度だけ、ジュエリー作りを経験したことがあるといいます。
「実はジュエリーを作って、ネット販売したことがあるんです。お菓子にまつわるブローチとかネックレスとか、そういったものがあったら魅力的だなぁと思って、自分も欲しかったから、オリジナルで型を作って、ナイフやフォーク、ホイッパーをシルバーで作ったんですけど、これが型代の方が高くついて、大赤字になっちゃって(笑)。結局、売れずに友達に配る羽目になったという、苦い想い出があります。やっぱりこういうことは、プロにお願いしないとダメですね。今度やる時は、是非ご協力お願いします!」
自分で身に着けることはなくても、ジュエリーを見ることは好きで、ジュエリーからインスパイアされることも多いという辻口さん。つい最近も、素敵なジュエリーを目にする機会があったそうです。
「先日、ジュエリー展にゲスト出演してきたんですけど、そのジュエリー展というのが、『スウィートジュエル』をテーマに、スイーツをモチーフにしたジュエリーが作られていて、『こんな世界があるんだ!』『スイーツもここまで来たか!』と思って感動しました! スイーツもジュエリーも、視覚的な部分では似ているところがありますよね。僕は飴細工(あめざいく)をよく作るんですけど、飴細工と宝石って、すごくよく似てるんです。『引き飴』とか『流し飴』とか色々な技法を用いて、飴を自在に操りながら、一つのオブジェを作り上げていくんですが、まさにその工程が、宝石と同じ世界のものだなぁと! 光の輝き方や出し方っていうのは、カッテイングによっても違うだろうし。立体的なものから、平面的なものまで、様々な表現方法があるんだろうなぁと思ったり。空間の使い方や色使い、色の変化などからも、刺激をいただいていますね。」
▲宝石のように美しい「セラヴィ」は
国際大会で優勝した辻口さんの代表作。
▲シュークルダール(砂糖の芸術作品)で
表現した「サザエ」。 辻口博啓美術館所蔵。
ふと目にしたジュエリーからヒントを得て、美しいケーキを生み出す辻口さん。海外でも、なるべくジュエリーを見るよう心がけているそうで、過去には素晴らしい「出会い」もあったとか。
「トルコ・イスタンブールのトプカプ宮殿で見た、クラシックな宝飾の世界。ホントに細やかだし、宝石を入れておく箱のデザインさえ、面白い!時が経っても、オーラをまとってる。そんな感じがしましたね。作り手の想い、みたいなものは、時が経っても感じるんだな、と。作り上げるまでの構成とその労力。そして時代背景を重ねながら宝石を見ると、非常に面白いですね。 宝石を入れる箱にも、こだわりが感じられて、つくづく宝石っていうのは奥が深いなぁと思いましたね。あっ、トプカプ宮殿では86カラットの巨大なダイヤも見ました!漁師が拾って宝石商に見せたら、3本のスプーンと交換してくれ、後にダイヤであることが分かったという伝説のダイヤモンド。あれには心奪われましたね!」
さらに「ジュエリー」と「スイーツ」には、こんな共通点も。
「スイーツを食べるとき、しかめっ面で食べる人はいませんよね。誰でもそのひとときは、やさしく穏やかで幸せになれるのではないでしょうか? それはジュエリーも一緒だと思うんです。素敵なジュエリーを見たら、あるいは身に着けたら、皆さんきっと笑顔になりますよね? 僕はスイーツを通してみんなにもっともっと笑顔になってもらいたい。 夢は大きく、『スイーツを通じた世界平和』。スイーツとジュエリーで、世界中の人たちが笑顔になるといいですね。」
最後に、「世界一のパティシェ」辻口さんが憧れる、ジュエリーのおしゃれについて、伺ってみました。
「今はジュエリーを着けられませんが、いつかパティシェをリタイアしたら、ジュエリーのおしゃれを楽しんでみたいなと思います。でもまだリタイアするまでに、30年くらいあるけどね(笑)。30年後、ジュエリーが似合うダンディーなおじいさんになれればいいなと、思いますね。」
辻口博啓さん プロフィール
1967年石川県生まれ。
和菓子屋の長男に生まれるが、小学生の時、友達の家で食べたショートケーキの味が忘れられず、高校卒業後、洋菓子の道へ。1997年、お菓子のワールドカップ「クープ・ド・モンド」で優勝し、世界一のパティシェとなる。以来、日本を代表するパティシェとして、スイーツ文化を牽引。 事業もマルチに拡大し、モンサンクレールをはじめ、コンセプトの異なる12ブランドを展開。後進の育成にも心血を注ぎ、故郷石川県にて、スーパースイーツ製菓専門学校を開校。今春からは「料理の鉄人」たちを名誉教授に迎えた、スーパースイーツ調理専門学校もスタート。 学校長としても多忙な日々を送る。
(番組ガイド誌「ジュエリー☆GSTV番組表」 2016年7月号掲載)