【私の宝石物語】歌手 アグネス・チャンさん ≪後編≫
各界で活躍する有名人の方々が、宝石への想いを紡ぎ出す「私の宝石物語」。 前編では、故郷・香港の宝石事情をご紹介してくれたアグネスさん。 17才で来日して43年。歳を重ねた今だからこそ抱く、宝石への想いをお聞きしました。
白いハイソックスで可憐に歌う姿が、今でも人々の記憶に残るアグネスさん。いつまでも「少女」のイメージをまとっていますが、今年8月で60才。「還暦」を迎えました。結婚後、歌手としての仕事を控えていた時期はあったものの、2000年から「大人のラブソング」を歌えるシンガーとして、活動を再開。今年6月には、最新曲「プロポーズ」も発売されました。
「『プロポーズ』は、女性から男性へのプロポーズの歌。ずっと寂しかったけど、『運命の出逢い』を感じたら、自分から愛を告白しましょうっていう、とっても前向きな歌なんです。」
この曲をリリースしたことで、全日本ブライダル協会から、「プロポーズ大使」を任命。エンゲージリングやマリッジリング、ブーケなど、「プロポーズ」を彩るアイテムへの興味も深まったといいます。
「最初の『プロポーズ』だけじゃなくて、結婚してからも節目節目にお祝いしたり、もう一回『プロポーズ』しよう!とか、推進してるんです。例えば指輪でも花束でも、2年目にはこういうデザイン、その次はこんな感じのものを贈ろうっていう提案。毎年記念日に違うものをもらったら、嬉しいでしょ(笑)」
そんなアグネスさん自身の『プロポーズ』は、今から30年前。
現在、所属事務所の代表を務めるご主人が、担当マネージャーだった時のこと。
「自分の『プロポーズ』のことはよく思い出せないんですよ(笑)。何となく成りゆきな感じで。婚約指輪は、彼がお金がなかったので(笑)要らないと言ったんですけど、お姑さんが買ってくれたみたいで。立派なダイヤが付いた指輪をいただきました。」
マリッジリングは香港で二人で選んだそうですが、歌手活動を再開した時に、事務所の代表であるご主人から、「歌手は夢を売る商売だから、指輪は外した方がいい」とアドバイスされ、以来、プライベートでもしなくなってしまったとか。
そんなアグネスさんが、今、一番大切にしているジュエリーがあるといいます。それは、香港のお母様からもらったという、イヤリング。
▲ アグネスさんの一番の宝物。
亡きお父様がお母様にプレゼ
ントした 想い出のイヤリング。
「90才を過ぎた母が、去年、自分が大切にしていたイヤリングをくれたんです。しかもそれは、父と母が結婚して間もない頃、まだお金がなかった父が、初めて母にプレゼントした想い出のもの。私はパパっ子だったので、父の愛情が込められていると思うと嬉しくて、胸がいっぱいになりました。父と母が結婚した頃だから、もう70年くらい前のものですけど、すごくセンスがよくて可愛くて!ガーネットかな?赤い石が付いているので、還暦のお祝いの席にも付けていきました(笑)私の一番の宝物ですね。」
子育てや仕事に追われ、自分の時間を楽しむこともなく、時を重ねてきましたが、末っ子の三男もアメリカの大学に入学。子育ての手も離れ、ようやく友達との時間を、楽しむ余裕も出来たそうです。
「女友達5人でブレスレットを贈りあって、みんなでお揃いのブレスレットをして、少女のように楽しんでます(笑)。私がみんなにあげたのは、青いハートがついたブレスレット。みんなからはパールのブレスレットをもらいました。」
還暦を過ぎ、これからこそが「新しい人生」。
仕事もプライベートも楽しみがいっぱい、というアグネスさんにとって「ジュエリー」とは?
「私にとってジュエリーは、愛情が込められていたり、想い出のあるものが、一番輝くんじゃないかなと思います。身に付けていると、ものすごく嬉しくて、誰かと繋がっているという安心感があって。特に私の場合、大切な人と離れていることも多いので。私はそういう風に、ジュエリーを使っているような気がしますね。」
アグネス・チャンさん プロフィール
1955年、香港生まれ。
1972年、17才で来日し、「ひなげしの花」で、日本の芸能界にデビュー。一躍トップアイドルとなる。1976年、芸能活動を休止し、カナダのトロント大学に留学。その後1989年にはアメリカ・スタンフォード大学に、子連れで留学し、話題となった。日本ユニセフ協会大使や、日本対がん協会「ほほえみ大使」として、ボランティア活動に情熱を注ぐ他、エッセイストや大学教授としても活躍する。最新シングル「プロポーズ」が絶賛発売中。プライベートでは、三人の息子の母。
(番組ガイド誌「ジュエリー☆GSTV番組表」 2015年12月号掲載)